神戸山口組の中核、五代目山健組中田浩司(広志)組長は自身が2019年8月ヒットマンとして対立する六代目山口組傘下三代目弘道会神戸事務所前で弘道会組員を拳銃で襲撃し3ケ月の重傷を負わせた事件で兵庫県警に逮捕された事に対し、関係者からは驚きを隠せないし警察捜査関係者の間では【ありえない、組長自らヒットマン?】と言われている。一体、神戸山口組、山健組には何が起きているのだろうか?
ヒットマンに行きたがらない組員
分裂、移籍等で激減する山健組々員
五代目山口組体制(渡辺義則組長)(~平成17年まで)下、山健組は構成人員7,000人を超えるマンモス組織であり武闘派であった。
それが六代目山口組(司 忍組長)(平成17年~現在)になると、六代目山口組の主導権は完全に名古屋の司忍組長出身母体の弘道会になり、山健組は次第と勢力を弱めて行く。
六代目山口組若頭高山清司組長が2014年にされた事で山健組を主体とした反弘道会派で2015年8月に神戸山口組を結成する。
捜査情報によると六代目山口組高山若頭は警察に捜査員に対して【俺の前では皆(六代目山口組直系組員)直立不動や!】と言っていた事から高山若頭の「鬼のいない間に」に結成されたと言われている・
しかし山健組内部でクーデターが起き2017年、神戸山口組から任侠山口組組(織田絆誠組長)が分裂した。
この任侠山口組発足で神戸山口組から約400名が離脱した。
ほか移籍、引き抜き、ヤクザ自体を辞める者も続出し現在、山健組は350人程となってしまった。
こういう移籍、引き抜き、脱退で組員が減少するのは山健組のみならず神戸山口組傘下組織全体に言える事だと言う。
反対組織の六代目山口組の中核、三代目弘道会は神戸山口組とは違い移籍等で構成人員は増え続けている。
高山清司六代目山口組若頭
背景には六代目山口組、三代目弘道会等による立て続けに起こる神戸山口組への報復で神戸山口組内部では神戸山口組、山健組の存続を危惧し、ヒットマン等で事件を起こしても(懲役から戻ったら)組が無いのではという組員の不安等により誰も尻込みしていかない様になったと言われている。
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