ヤマケンのシマ「三宮歓楽街」に高山若頭が登場!クラブで乾杯「勝利の乾杯」なのか

六代目山口組 高山清司若頭

出典 https://bunshun.jp/articles/-/15227

それは12月13日神戸山口組が納会(事始め)を行った日だった。

2019年12月13日二代目西脇組事務所で神戸山口組が納会(事始め)を行った日、名古屋からその日を狙ったかの様にキーマン六代目山口組高山若頭が三宮のクラブで飲んでいたという。

三宮の歓楽街は山健組のシマ(縄張り)と言っても過言ではない。

この度の分裂騒動から三宮歓楽街の飲食店が立ち並ぶテナントビル1件毎には、山健組傘下組員がしけバリ(警備)の様に普段着で立っていたりする。それは一般市民からはわからないが、殆どが30歳までの組員がカジュアルな格好でテナントビル前でスマホを触っていたりガードレールに腰かけている。

神戸山口組、任侠山口組の幹部クラスでも殆ど出歩かない歓楽街に名古屋から約20人引き連れて高山若頭が登場したというのだ。

テナントビル毎に組員を配置させている神戸山口組側に高山若頭が参上した事は直ぐに広まり神戸側の組員が集まったとされる。

どうも高山若頭は3日に徳島の六代目山口組顧問の心腹会尾崎彰春前会長が亡くなった為、それの弔問に伺った帰りに神戸三宮に訪れたらしい。

高山若頭は一般客に迷惑が掛かるとの配慮からある高級クラブ「B」で開店前の店を借り切り店の開店時間になると店を後にしたらしい。

敵地の牙城に訪れた高山若頭は神戸山口組に対して挑発以外のなにものでもない。

高山若頭にすれば敵陣に乗り込んで「勝利」の祝杯でもあげていたのだろう。

山口組が分裂する前、高山若頭が神戸三宮に来た時、三宮の街中を皮肉にも山健組が警備をしていた。その組員動員数は半端ではない。

神戸の北野坂という歓楽街の道は山健組関係者でほぼ埋め尽くされて異様なムードであった。高山若頭が来ているのは直ぐにわかったぐらいだ。

☟次ページ 抗争に倦み疲れ(うみつかる)のが垣間見える神戸山口組

最新情報をチェックしよう!
>