子供の教育、家庭環境は12歳まで、もうちょっと見て13歳位までが大事やと思うわ。
片親とかそういう問題やとか関係ないで!どれだけ和気あいあいと過ごして愛情込めれるかやと思う。親の都合で子供ほったらかしにしたら子供はとんでもない方向にいってしまう。
目次
実際の経験
俺は8歳の時に母親が死んだ、それで亡くなった母親の初盆も迎える迄もなく父親は新しい女と再婚したんや。俺はどうも懐けなかった。亡くなった母親が作っていた梅干しや漬け物を「下手くそ」と、言って捨てよった。それ見て俺はいい気しないわなぁ!
それまで算数の塾や空手道場行きよったけど、継母は「金が勿体ない」言うてな辞めさせられた。そう思っていたら母親が亡くなって1年もしないうちに継母は妊娠した。
俺の姉、兄は怒ってしまってな、もともと再婚も兄弟は反対していたけど、
すべて当時8歳の俺の為やと、俺の為やったら要らないと、言ったけどあかんかった。
継母が妊娠した
継母が妊娠した時、姉、兄はもう21歳と18歳やから自立できるから家を出て行ってしまった。子供が生まれた、名前は尚美と言う名前を付けよったわ。
それで姉が俺を迎えに来てくれた俺に不自由な生活をさせたくないと言ってな。
しかし姉も21歳で年ごろやったんか分からないけど仕事も忙しいし俺の面倒臭くなったんか今度親戚がおる広島に行ったり転々とした。たらい回しや!でも子供心に覚えてるで!
ムカついたのを、広島でも結局面倒見れない言われてまた姉の所に頼った。姉は面倒臭くなって父親と継母のいるところに戻された。
親戚中たらい回しにされる
継母と父親は母親の生命保険で神戸の郊外に新築で家を建てていた。
腹違いの子供尚美と継母と父親宜しくやっているのにそこに転がり込んだらそれこそ継母が嫌がる。案の定嫌がれた、毎日毎日出ていけ、出ていけと念仏の様に言われたな。
トイレも2つあったが1つしか使うな
洗濯は自分でしろ
小遣いは無し
風呂は一番最後で元栓まで切られてる。湯が膝までもないんや。毎日。
冷蔵庫も南京錠付けられて牛乳とかは尚美ちゃんの分やから飲むな言われたな。
飯はいつも生ハム1枚、中学の弁当は日の丸弁当に古新聞で割れた使用済の割り箸
年頃には恥ずかしかったな!
ろくに食べる物も無いから空腹を満たすんにザリガニやタニシを食べたわ!
新神戸駅下に生田川言う川があるんやけどそこでよう食べたわ。
中学生でバイトを始める
学校の靴もなんも買ってくれんから学校行かんと高校生のふりしてゴルフ場でキャディのアルバイトして生計立ててたな!次第にグレてきたわ、継母にお願いした事がある。それは
「そんな俺の事が憎いんやったら施設入れてくれ、施設に行きたい」
と、いったら体裁があるのか断られたな
そんな感じで段々家に帰るのが嫌になる。そうして家出も増えてくる。
友達の家に泊まる初日はいいけど3日目、4日目なったら友達の親が俺に聞こえる様に言ってきてるのか分からないけど「あの子一体、いつまでいるの‼」と言われまた他の友達の家を転々とする。
ある日、学習道具も買ってくれない鉛筆もないからクラスの子らがカンパしてくれてな
筆箱、鉛筆、シャーペン、下敷き、定規、ノート全部当時流行っていた「たれぱんだ」で買ってくれたのを覚えているわ。そんな感じで結局は深夜徘徊で警察に補導され継母の元へ返される。家まで警察が送ってくれてもワザと出てこない、出てきた思ったら凄い眠たそうな顔をして態度横柄に対応する。家の中は自分に部屋以外行動する事は許されず冷暖房も無い部屋、夏はウチワ、冬は毛布のみ、TVも見せてくれないそんな地獄の日々でした。
まとめ
だから親の都合で子供を放置したらあかんわな!
せめて小学校卒業する12歳位までは愛情込めて育てんと行けないと思う。
何処の子供であっても俺の様な思いはさしたくないと思う