司忍組長の人柄、性格

暴力団員だけが配属される工場でには入れさせず、要養護の高齢者が働く軽作業の現場に配属された。他の受刑者には司の顔を知らない者も多くいたため、そうとは知らずに「あんたどっから来たの」などと普通に話しかける者もいたが、物静かに大人の対応をしていた。

運動時間には30分間変わらぬペースで走るのを日課としており、舎弟達がついていけないほどの強靭な体力を持っていた。

刑務所でもよく受刑者と碁を打っていた。相手が負けると見下すのではなく「さっきの手はこうすれば良かったんじゃないかな?」と驕る事なく相手に勝ち方を教え、次に打つ際にはわざと負けるなど器の大きさを見せた。

刑務所では模範囚である一級(当時は累進処遇制度により受刑者を級分けし、累があがるほど仮釈放を受けやすくなった)になり、仮釈放になる仮面接にかかったが一年近くもらえる仮釈放を断って満期で出所している。

1995年(平成7年)01月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災の時、渡辺五代目の所にヘリコプターで駆けつけ、 共に被災者救援活動(救援隊を組織し、トラックの手配・物資・寝具の提供・炊き出し等)を展開した。

司六代目の哲学は【人間には、良い所・悪い所、色々ある。悪い所はなかなか直らない。 だったら良い所をもっと伸ばすようにしたら良い。その人間は、今よりもましな人間になる。良い所を見る事を心掛けろ。】と言うものである。 心掛けている事の一つに【決断力と実行力】がある。【良い決断をする】為には、広く、深く、【様々な情報を集める】必要がある。 その為には日常的に【勉強や読書が欠かせない。】

ヤクザの親分は意外にも読書家が多いが、司六代目も大変な読書家として知られている。司六代目と言えば、 華々しい武勲が際立つが、【インテリジェント】も併せ持つ「文武両道」の親分

関係者はこう明かす。「もともとは哲学書を好んで読んでいたが、あらかた読破してしまった様子で、 歴史書や中国故事なども読んでいた。そんな時、ある組員が1冊の本を親分に贈った。欧州の詩集だった。 これを大変お気に召したようで、それからは詩集も読み、やがて自らも書きとめるようになったようです。」

心身共に健全でなければ良い親分とは言えないという信念(組の為に身体を賭けた若い組員が社会復帰した時、戻れる場所がなければ可哀想だ。だから親分は病気などしてはいけないと言う信念)

借金をしていた相手がこちらが返さないうちに亡くなってしまった場合、すぐに遺族に返しに行け。 逆に貸していた相手がこちらに返さないうちに亡くなってしまったら、それは香典としてくれてやれ。 間違っても遺族に返済を迫ったりしたらいかんぞ!と言うのです。それが極道ぞ!と言う事なのでしょう。」(関係者筋)

滅多に飲酒はしないようだが、クラブなどに行く時も早めに行き、他の客がやって来たらサッと席を立って店をあとにすると言う。 これなどは堅気の人達が気持ち良く時間を過ごす事が出来るようにとの、司六代目の気配りだろう(関係者筋)

司忍組長は六代目山口組長と言えども決して横柄にならず隅々まで気配り、配慮、自身への努力がこの人柄、エピソードで垣間見えます。

また、決して格下の組員でもお声かけをしてくれる親分でした。ちなみに私も過去、本家でお会いした時お声かけを頂きました。

九州出身の司忍組長ですが言語はバリバリの名古屋弁でありました。


 

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