日本最大の組織山口組に君臨する、司忍組長、山口組が神戸山口組【井上邦雄組長】、絆会(元 任侠山口組)【織田絆誠会長】と分裂し強権支配で圧倒的な統率力で弘道会、六代目山口組の強さを見せつけた六代目山口組々長についてまとめてみました。

最後までお付き合いの程宜しくお願いします。

篠田建市(司忍) 六代目山口組組長

出典 日刊ゲンダイ

山口組に人生を捧げ組長に君臨し一から全国のヤクザ組織に名を轟かせた司忍組長

司忍組長のプロフィール

名  前 司 忍 (本名 篠田健市)

生年月日 1942年(昭和17年)1月25日生 (78歳)身長165cm

出身地  大分県大分市

大分県立水産高等学校(現 大分県立海洋科学高等学校)卒業

司忍組長が卒業された大分県立水産高等学校(現 大分県立海洋科学高等学校)

出典 大分県立海洋科学高等学校FB

 

渡世名「司 忍」の由来

「司忍」というのは、渡世名 渡世名と言うのはヤクザ渡世での通称、名前
渡世名の由来は、実弟の篠田司氏が、小学生の頃に病死し亡くなった実弟を忍んで「司忍」名付けたものと言われている

司忍組長のヤクザ渡世入りは20歳

大分県立水産高等学校(現 大分県立海洋科学高等学校)卒業後、地元の大手水産会社に就職するも、大阪を経て名古屋にその後、ヤクザ渡世の道を歩む。

渡世入りから

1962年(昭和37年)20歳 弘道会前身の弘田組(弘田武志組長)となる三代目山口組系鈴木組内弘田組に渡世入り
1969年(昭和44年)27歳 自らに組織を「司興業」を旗揚げし弘田組若頭に就任、5月に弘田組傘下の組事務所が大日本平和会山中組小牧支部の集団に襲われ2人が死亡する事件が起きると、同年7月、司 忍(当時弘田組若頭)の指揮で行われた大日本平和会春日井支部長殺害の報復戦に武闘派として活動する。
1975年(昭和50年)33歳 後の六代目山口組若頭となる高山清司若頭と出逢う。
同 年 弘田組は若頭に現在の司忍組長を据え「司興業」を結成

佐々木組々長も弘田組長から親子盃を受け「佐々木組」を結成、若頭に高山清司氏を据える。

1976年(昭和51年)34歳 佐々木組は組織名を菱心会と改称した。高山氏は直参となり理事長に就任。その後高山氏は高山組を結成し弘田組直参に昇格する。

1984年(昭和59年)42歳 山口組、一和会の分裂騒動で弘田組長は引退、当時若頭であった司忍組長が二代目弘田組を継承し、若頭補佐に高山氏が就任するも元親分であった元佐々木組佐々木康裕組長は弘道会で相談役に就く(後の五代目山口組若中となる)。
同年 弘田組を改称し弘道会と改め会長に就任。
1989年(平成元年)47歳 弘道会若頭に高山清司氏が就任。

名古屋地元組織の運命共同会・中京五社会と抗争が始まる

1991年(平成3年)49歳 名古屋地元組織の運命共同会・中京五社会と抗争が始まる

名古屋の地元組織中京五社会所属の八代目稲葉地一家の抗争を終結させる。名古屋地元組織の運命共同会・中京五社会と抗争し壊滅させ多くの組織を傘下に収める。

2004年年3月(平成17年)63歳 2004年2月24日、大阪高等裁判所で懲役6年の逆転有罪判決を受け、上告。高裁判決後収監されたが、10億円の保証金で即日保釈
2005年1月(平成18年)64歳 1月髙山組を若頭・竹内照明に継がせて二代目髙山組総裁に就任。3月弘道会二代目を継承し4月に山口組直参に昇格。

弘道会司忍会長は二代目に高山清司氏に跡目を譲り司忍組長は二代目弘道会総裁、司忍組長は弘田組組長に兼任。

同年 6月には山口組若頭補佐に就任し、7月に山口組中部ブロック長を兼任。8月には六代目山口組組長に就任。

(左)司忍六代目山口組組長 (右)高山清司若頭


 

六代目山口組組長就任後

2005年3月(平成17年)63歳 確実視された銃刀法違反における実刑確定を念頭に、山口組人事にあたる「幹部」職創設、倉本組と小西一家の復活から、國粹会を傘下に収める形での東京進出、五代目会津小鉄会会長との舎弟盃に代表される親戚団体との関係強化を数か月のうちに行った。
同年11月 11月29日付けで上告が棄却され、銃刀法違反により懲役6年の実刑判決が確定
同年12月5日 大阪拘置所に収監され、翌年2月には府中刑務所に移監
2010年(平成22年)68歳 山口組高山清司若頭が京都の建設業の男性に4000万円の恐喝罪で逮捕拘留される。

高山清司若頭は2012年(平成24年)京都拘置所に勾留中、病気で2012年の1月20日から同年2月20日まで勾留停止となる。同年6月には京都地裁の決定に基づき保釈となった。保釈保証金は15億円。翌2013年2010年の事件により京都地裁で恐喝罪で有罪となり懲役6年の判決。6月に実刑が確定し、2014年12月府中刑務所に収監された。

2011年4月(平成23年)69歳 2011年4月9日、未決勾留8か月・服役期間5年4か月で刑期満了となり府中刑務所を出所
2015年(平成27年)73歳 8月山口組直系組長13名が六代目山口組を離脱し、四代目山健組々長・井上邦雄を組長として結成された「神戸山口組」が結成される。
2019年(令和元年)77歳 高山清司若頭が2019年10月18日府中刑務所より出所


 

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